観念について
人は無意識の中にも
固定観念を形成しているものです。
私自身そのことにはじめて気づいたのは
学生時代、発展途上国やイスラム圏を訪れたときです。
一番のカルチャーショックだったのは
イスラム圏には約束の概念がないということです。
ちょっと語弊のある言い方かもしれません。
人と人との間には約束や契約が結ばれないという考え方です。
そこでは約束や契約は人と神の間で成立します。
なにか約束をしようとしたときには、
必ずその後に「シャー アラー」つまり
「アラーの神がそうさせるのであれば」という
決まり文句をつけます。
例えば「明日の6時にモスクの前で待ち合わせましょう」
と約束をしようとすると、その後に互いに
「神がそうさせるのであれば」と付け加えるのです。
一見無責任な考え方に思われ、
はじめはもちろん違和感がありましたが、
よくよく考えてみると合理的な側面もあります。
つまり、人には人の未来を束縛する権利はない
という意味を持っているのです。
そして神への信仰で結ばれている彼らにとっては
そういった考え方が相手に対するより高い信頼に
つながっていると考えられるのです。
約束や契約が基本のキリスト教的文化圏であれば
約束を守れば信用され
約束を破れば信用されない
ときとして、罪に問われ罰せられます。
しかしながら、イスラム圏ではそもそも
人と人との間の約束・契約が認められないわけですから
約束が守られた場合でも
約束が破られた場合でも
相手を信頼することに変わりはないのです。
むしろ約束が守られなかった場合
相手を心配するという慈しみの心を育みます。
思い返してみれば
我々だって、家族や親友の間柄であれば
そういった感覚をもつことでしょう。
駆け引きや損得のない結びつきなのです。
彼らは我々が他人と呼んでいる初めて出会う人々ですら
信仰で結ばれた兄弟のように思っているのでしょう。
とかく契約や計画の履行という呪縛に
囚われている私たちにとって、
こうした違った考え方があることを知ることも
大切だと思うのです。
固定観念をそうしたカルチャーショックの振るいにかけて
その上でその観念のもっている特長や
違った考え方のあることを理解した上で
自分の生活に取り入れていけばいいのではないでしょうか。
観念に囚われず、様々な多様性を知ることは
人間としての度量の大きさ、
優しさにつながるのです。
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