メルマガ、ブログ20周年に寄せて

  
2005年から始めたメルマガとブログ
お陰様で20周年を迎えました。
今日は令和7年7月7日。
  
35歳から、私も55歳になり、
この機にメルマガのタイトルを
『青年のための名言』から
『生きる言葉』へ更新し、
ブログと揃えることにました。
  
  
2年前に父が他界し、
私もいよいよ大人であり、
生活ではシニア割の優遇が
鉄道や映画館で当たり前のように
受けられる年齢になっています。
  
毎年のように
昔の知り合いや親しい人の
訃報が幾度か耳に入ってくる
ようにもなっています。
  
仲間と飲みに行けば、
健康の話や老後の話、
昔話に花が咲きます。
  
  
今僕は人生の中でも
最も穏やかな時間を過ごしています。
お陰様であり、有難い限りです。
  
人生の林住期を
できうる限り無為自然に
過ごしていきたいものです。
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                

| | コメント (0)

桃栗三年 柿八年

  

僕は35歳くらいのころ(約20年前)
ちょうどブログやメルマガ
が日本に普及し始めたころ
mixiというSNSで
幸福研究会なる
グループを運営していた。
  
人の幸福を研究するようになって
おおよそ20年
もっといえば命知の日
2001年2月11日からだと
24年あまりが経っている。
  
あの頃ひとつの拠り所として
般若心経を独学で學び
それは今でも暗誦できる。
  
また比叡山や高野山をはじめ
日本中相当数の寺社仏閣を訪れた。
そうそして、インド、ネパール、スリランカ
台湾、北京など仏教伝来の道もまた
訪れもした。
  

それでも今、
だいぶ前にも書いたように
僕は仏教はじめ何かの宗教に
入信している訳ではない。
  
  
2025年5月
機妙な縁尋によって
仏像彫刻を始めようとしている。
法相宗大本山
薬師寺の東京別院に仏縁をいただいた。
先日初めて写経を奉納させていただき、
今週から教室に通う。
  
法相宗、瑜伽唯識學とは
本当に摩訶不思議なご縁の
導きを感じざるを得ない。
  
一つのルートは
ユングを中心とする心理学や
行動科学などの學びと通ずる。
(MBTI、SORなど)
もう一つの道は
成人発達理論の善智識の
足跡に通ずる。
また三つめの道は
コロナ禍にヨガを始め、
ヨーガスートラ、バガヴァッドギーターを讀み
ジュニャーナ、サーンキア哲学にも触れたこと。
  
  
唯識三年 倶舎八年
というらしい。
まずはここから
八年くらい腰を据えて
仏像を彫りながら
精進していこうかと想う。
  
  
このGWから
唯識三十頌を學び始めている。
  
  
  
合掌
  

 

 

 

 

 

 

 

                    

| | コメント (0)

四苦八苦

  
・生苦(jātipi dukkha)衆生の生まれることに起因する苦しみ。
・老苦(jarāpi dukkha)衆生の老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが・衰退していき自由が利かなくなる。
・病苦(byādhipi dukkha)様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる問題。
・死苦(maraṇampi dukkha)死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。衆生が免れることのできない死という苦しみ。また、死ぬときの苦しみ、あるいは死によって生ずるさまざまな苦しみなど。
  
・愛別離苦
(あいべつりく、piyehi dukkha)親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること。
・怨憎会苦(おんぞうえく、appiyehi dukkha)怨み憎んでいる者に会う苦しみ。嫉妬心。
・求不得苦(ぐふとくく、yampiccha dukkha)求める物が思うように得られない苦しみ。
・五取蘊苦(ごしゅうんく、pañcupādānakkhandhā dukkha)五蘊盛苦(ごうんじょうく)とも。五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ。
  

苦とはドゥッカから来ている
心が乱れることである。
スッカ(楽)の対義語。
 
僕は近年、できるだけポジティブな
内容をメルマガやブログやSNSや
日常の生活でも発信するようにしている。
  
それでもやはり、
人生には四苦八苦の試練がある。
  
試練からの氣づき學びを
繋げていかなければならない。
  
  
四無量心
放擲のヨーガの実践
心の働きの止滅
に向けて
  
  
  
  
  
  
  
  
  

 

| | コメント (0)

生と死の狭間で

最近になって
“証自証分”という概念に出会った
仏教唯識(主に法相宗)の思想だ
  
僕の理解では
客体と主体を
弁証法的に止揚していく
視点視座獲得の繋がりといった
説明となるだろうか
  
自証分とは
自分(相分)が対象(見分)を
認識しているということを自覚する側面
証自証分とは
自証分の働きをさらに自覚する側面
との説明もある
  
これまで僕が意識してきた
四無量心
即ち慈悲喜捨の実践の中で、
捨無量心の体現は
将に証自証分の認識の連鎖
によって得られるのではないか
そう考えている
  
自分を俯瞰しメタ認知する眼差し
それが仏の眼なのかもしれない
  

まもなく55歳を迎える
生と死の
自分に与えられた狭間で
  

 

 

 

 

  

| | コメント (0)

人生の伏線回収

今年の秋から
(今年は夏日が続いているが)
仕事で訪れた町の近くを
前泊や後泊をつけたりして
旅するようにしている。
  
“もうこのあたりに来るのは
最後かもしれない“
  
そんな予感も漂い始めた54歳
山口の萩や
広島の尾道を歩いた
  
明日はいよいよ
山形の出羽三山神社に
お参りする予定だ。
 
今回もなにか縁というか
偶然というか
そんな有難い、
摩訶般若波羅蜜多の巡り合わせ
  
阿弥陀様の導きというか
業(カルマ)の誘導というか
  
“いつかきっと”
  
過去も未来も
星座も越えるから
  
未来が手のひらで
昨日に変わる
  
そんな人生の伏線回収を
無為自然に、放擲のヨギーとなって
仕合わせに楽しんでいこう…
  








              

| | コメント (0)

3つの時間を生きる

  
ここ半年くらいで降って来た考えだが
僕らは同時に3つの時間を生きている
という風に想うに致った。
  
まさに今生の人生の中の時間
輪廻転生における業の中の時間
“今、ここ”のみの時間(の積み重ね)
  
  
そう考えると梵ての出来事に
梵ての環境や課題に
自分自身という存在に
  
今生や“今、ここ”、輪廻転生の中で
どのような意味があるのかを
弁えられるような氣がしている
  
  
タオ、弥陀の誓願、無為自然、放擲のヨーガ
の中を安心立命、心の止滅の心境で
生きて逝ける
  

 

 

 

 

       

| | コメント (0)

LIFE IS A JOURNEY

  
今週末、長女と旅に出る
インド、ネパール、スリランカ、マレーシアを
足早にだが旅する予定だ
  
  
僕は幸いなことに
20代までに30か国以上を
旅する機会に恵まれた
  
時代、家族、友人という
環境の影響がなければ
そうした課題(時間)は
僕に与えられなかっただろう
  
20代の頃のバックパックは
生きていくための自分探し
の旅だった
  
これから社会で
いかに人や社会に役立つかを
探し求める時間(課題)を積めた
  
  
50代になり
昨年父の死に直面したり
僕を取り巻く環境や課題が
近年変化したことなどもあり
最近は自称更年期障害ぎみであった
  
Do, Have, Be
したいことも欲しい物もなく、
ありたい自分も、もう
無くなっていった
  
後悔も不安も
無くなっていった
  
それはそれで幸せなことだが
何かを探すような心境だけは
心の中にずっとある
そんな状況だ
  
50代のバックパックは云わば
死に行くための自分探し
の旅だとふと想う
  
死に行くとは
生きていくことだ
  
  
旅支度は着々と進めている
  
  
LIFE IS A JOURNEY
よい旅を
  

 

 

 

 

           

 

| | コメント (0)

逸脱者の行き先

  
今ここの環境や課題
に適応できず、今生を見失い、
精神不安定となった
逸脱者たちの反応作用は
過剰攻撃か過剰防衛だといえる。
  
概ね戦争かドラッグか
どちらに転ぶかだ。
  
戦争もドラッグもただ単に
それ以上でもそれ以下でもない…。
  




              

| | コメント (0)

死について

昨年、1つ年上の友人が突然他界した。
今年8月、昔の同級生の訃報が届いた。
9月には、父がやはり突然、他界した。
父は冷たく、硬く…
  
感謝の気持ちと
懺悔の気持ちと
今は諸々の手続きと
遺品整理の日々…
  
  
全ての人は死ぬ
人である自分もまた
いつかは死ぬ
  
僕は数年前から、
いや昨年今年くらいから、
残りの人生はおまけ
みたいなものだと思っている。
  
だから日々
その日が最後でも良いように
出し惜しみすることなく
自然に自分を生きている。
  
今は、
これまでの自分に
なんの未練も後悔もない
感謝の気持ちと
懺悔の気持ちとともに
  

とても仕合わせな日日だ。
  

 

 

              

| | コメント (0)

sandplay

  
2023年こどもの日の翌日
ふと氣が憑いた。
  
僕らは日頃
人(自分)と環境と課題との
相互作用によって
その行動を起こすとされる。
(ニューウェルの法則)
  
その三角形の中で
僕らは受動的に生きるか
能動的に生きるか
特性や発達度合によって
自分の目的・立場・空間・時間を
(4P…Purpose、Position、Perspective、Period)
意識的無意識的に決定していく。
  
発達段階の各段階において、
その座(目的立場)や
その場(空間時間)において
受動から能動へと
段階内で成長していっている。
  
受動から能動へと意識無意識が
変態する際のポイントは
自意識、客観性、メタ認知
といったことだろう。
伴うのは他責から自責への
認知の変換だ。
  
自責の念が芽生えると
主体性、主導性が育ち
人は環境や課題に対して
イニシアチブ、影響力を
持つようになる。
  
則ち環境や課題を
創造(関与)する立場に
成るのである。
  
しかし、次の
無為自然のタイミングでは
その自らが創造した
環境や課題に今度は
逆に自らが囚われてしまう
ようになっていく。
(能動と受動の混沌・変態)
  
そう気づいた時人は
自らが構築した環境と課題を
破壊し、脱皮し、
次の段階へと進んでいくという
無為自然の衝動に駆られる。
(能動と受動の止揚・含超)
  
  
タオ、阿弥陀、色即是空、
放擲のヨーガ…
  
創造と破壊
リアルな(世界は)箱庭
  
人の発達(人生)とは、
こうしたことの繰り返しな様と
  
ふと氣が憑いた。
  

 

 

 

 

 

                

| | コメント (0)