人の弱さに向き合う

2020年4月17日
日本は、世界は、新型コロナ(covid-19)に混乱している。
感染・死者の拡大、都市封鎖、経済のリセッション…
日々募っていく精神的な不安、焦燥、無気力感…
  

僕も50歳を前にして初めて、
「戦争前」を経験していると、認識を深めてきている。
  

今、僕も含め、多くの人は仕事ができない。
仕事ができないということは、経済的に追い込まれてくる、ということだ。
それが日々ジャブのように人の精神を崩しにかかっている。
  

今、まともに仕事ができるのは、
公務員、医療関係者、食品・医療品の流通関係者くらいだろうか、
建設業あたりにまで影響が出るようになってきている。
学校は3月からすでに休校中だ。
  

こうなると、人はその知覚機能から得た状況認識により
人は生きるために、
食べるために、家族を食べさせるために
を最優先に判断機能を働かせることになるだろう。
  

僕は、今まで「戦争反対」「非戦」「Love&Peace」の立場をとってきた。
それはこれからも変わることはないが、
これまでの自分は心の余裕から、
戦争に参加した人たちを、無条件に軽蔑し続けてきた。
  

ただ、今はよりいっそう身近に、
戦争に参加せざるを得なかった人たちに共感できる
ようになってきている。日一日と。
  

人は弱い。
不安、焦燥、無気力感から解放されるために、
攻撃的になったり、過剰防衛的になったり、逃避的になったりするだろう。
  

人は不完全である。
外向の事実の感覚に捉われるあまり、
内向の直観、真性からの発信とのつながりは
かき消されるだろう。
  

知覚と直観の知覚機能はバランスを欠き
思考と感情による判断機能も平衡を保てない。
  

人は生きるために、
食べるために、家族を食べさせるために
方便で自分を誤魔化し、誤った道の選択可能性を高める。
生理的欲求、安全欲求の段階が揺らぎ始めたとき。
  

歴史が示すのは、歴史が教えるのは、
疫病や飢饉→経済混乱→精神的混乱→判断力の欠如→戦争、
というシンプルなフェーズのフローである。
  

このシンプルなフローに抗うことができるかどうかが、
現代の人間に試されているような気がする。
近年自分が学んできたことは、感じてきたことは、
ここにつながっている直観がした。
  

課題はシンプルなゆえに、
解決策もシンプルだ。
誤魔化さぬよう、判断を間違えぬよう、
  

新しい世界を迎えるにあたり
  

われ反抗す、ゆえにわれら在り
そうした連帯を、強さと優しさを、今こそ。
  

カミュの遺言に愛をこめて。
  
  

 

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新しい世界へ

2020年3月
新しい世界の
その扉を僕らはノックしている
そんなことをつくづく
さまざまな事象から感じている。
  

つまり、僕らを包み込んでいる
僕らを飲み込んでいる社会構造
社会システムの理想、
イデア、価値観、観念が
明らかに、徐々に、一人一人と
変わってきている。
  

この30年くらい揺り返ししながらも
感じていたことが
臨界をこえた、分水嶺を超えた
ことが確信できるようになった。
  

いや、理想が進化したというよりも
今の古い現実が限界を迎えた
といった方が適切な表現かもしれない。
  

理想をサブシステム内の理想と
メタシステムにおいての理想と
分別して考える必要がある。
  

理想が進化するからといって
現実がすぐに、大きく変化するわけではない。
新しい理想と、現実の関係性、折り合いを
いかにつけていくか
ということが眼前の課題となっている。
  

VUCAからパラダイムシフトへ
準備は整いつつある
先進が刷新される
  

このメッセージを、
繋いでいこう。
僕も一因子として。
  

“ハレルヤ”


  

 

  

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平成の終わりに

僕は平成元年に高校を卒業した。
いわゆる平成元年卒である。
それから時は流れ、
今日で平成は終わる。

 

つれづれ色々なことがあったけれど、
全てはこの二つの言葉に集約されるかな。
そう想う。

 

「ごめんなさい」
「ありがとうございました」

 

18歳から48歳までの人生。時代。
全ての人たちに。
全ての出来事に。
神様に。

 

   

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幸福であること

自分の命知から18年が経とうとしている。

この間、ゆっくりと、実にゆっくりと、自分に与えられた発達課題をそれこそ七転八起しながら、一つ一つ凌いできたような気がしている。

 

僕はときどき直観的に、自分の中で何かと何かが結びついたり、偶然の重なりに気づいたり、何かが降ってきたりということを認識することがある。

 

今しがた、「幸福な人の特徴」について考えていた。すると思い浮かんだのは、「幸福な人には、その人を周りで支えている人がいる」ということだ。幸せな子供に働きものの親がいるように。幸せな夫婦に相手をサポートする配偶者がいるように。幸せな成功者に右腕となる存在がいるように。

 

最近、仕事の必要から、クルト・レヴィンの「場の理論」を強く意識するようになっている。B=f(P,E)というものだ(Behavior, function, Personality, Environment)。

 

「幸福な人(P)の周り(E)にはそれを支えている人がいる。それが人が幸福であること(B)に作用している」ということが、何か成り立ちはしないか。そう思い浮かび、自分の中で納得があった。

 

この考えに思い当たったとき、はじめは、「誰かが幸福であるためには、誰かが犠牲を払っている」そういう疑念がよぎった。しかし、違うのではないか。すぐに次が思い浮かんだ。「幸福な人(P)の周り(E)では、それを支える人がそれぞれの発達課題に出逢い、その超克に奮闘している。ある人が幸福である(B)ということは、そうした相互作用を促す媒体として機能している」ことを意味しているのではないか、と。

 

そして、「人が幸せになるためには、感謝と知足が大事である」というのが、仏教の教えである。

ここで思うことは、誰もが幸せ(仕合わせ、為合わせ)なのであり、それに気づけるかどうか、感じられるかどうかが、周りの人にも作用する(影響する)、ということだ。

 

僕は「幸せである」ことを常に自覚して生きて逝きたい。

 

 

 

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最近の興味(研究していること)

こ数年、いろんなことが繋がってきているのを改めて感じている。出逢い、邂逅。結局何かに導かれるように自分の興味関心、研究せずにはいられないテーマが繋がっている。
現状、研究しているテーマは以下の通り。
  

■自己理解(他者理解)について
 
MBTI
  
2017年認定ユーザー資格取得
  
※とくにダイナミクスとタイプ発達について
  
※ちなみに僕のBFTENFJ
 
DiSC
  
2018年認定資格取得

  ※ちなみに僕のスタイルはiD
  

■誤解について
 ・“ジョハリの窓”の深掘り
  
(自分が自分に対する誤解)
  
(未知の窓を啓く)
 
・コミュニケーション(GAP
  
codecontextmedia
  

■経験学習について
 
・デービッド・コルブ
 
・学習する組織(ピーター・ゼンゲ)
 
・ナレッジ・マネジメント(SECIモデル)
 
U理論(オットー・シャーマー)
 
・ティール組織の可能性
 
・清水博(場の研究所所長)
 
・佐伯胖(「学び」の構造)
  

■問題解決手法について
 
・デザイン思考
 
・システム思考
 
・社会システム理論(ニコラス・ルーマン)
 
PDCA
  

■リーダーシップ開発ついて
 
ACSモデル(assessmentchallengesupport
 
・キャリア開発要件(mustwillcan ; shall
 
・能力構造と能力要件
  
(企画力、表現力、説得力、育成力)(畠山芳雄)
 
・状況理解と役割認識
 
・マネジメント
 
・コーチング
 
・チームビルディング
 
・エトス、パトス、ロゴス
 ・EQ
 
・非認知能力
  

■グループ・ダイナミクス※
 ・クルト・レヴィン 場の理論
 ・アクション・リサーチ
 ・ラボラトリートレーニング
 ・エンカウンターグループ
 ・感受性訓練
 ・リフレクション
 ・オープン・ダイアローグ
  

■成人発達理論について
 
・アブラハム・マズロー(人間性心理学)
 
・ケン・ウィルバー(TP心理学・インテグラル理論)
 
・ロバート・キーガン、カート・フィッシャー
 
・加藤洋平
  

■創造性について
 
・プラグマティズム(デューイ、ジェイムス、パース)※※
  
ジョージ・ハーバード・ミード※※※
 
abduction(チャールズ・サンダース・パース)
 
・直観
 
KJ法(川喜田二郎)
 
・パターン・ランゲージ
  
(クリストファー・アレグザンダー、井庭崇)
 
QWAN(名付けえぬ質)
 
ARTS&SCIENCEの融合
 
・フロー、ゾーン、タキサイキア
 
・産霊
 
・摂理(Providence
 
philosophy
 
conscience

■その他
 ・易、陰陽五行
 ・陽明学の系譜
 
・三浦梅園
 ・広瀬淡窓
 
・西田幾多郎
 ・神智学
 ・AI浸透後の社会
  

あまり纏まってないけれども、キーワードの覚書として。
  

基本的には、昔から自分がライフワークとしている「幸福とは何か」や「能力開発は愛情開発である」というテーマに沿って、それを強化しているに過ぎないかもしれないのだけれども。人間学というか。
  

2001211日に降りてきた人生理念
”子供たちの次代により豊かな未来社会をプレゼントする”
は今も変わらない。
   


※2019.1.29加筆
※※2019.2.4加筆
※※※2019.4.10加筆

 

 

 

 

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”待ち人”について

 おみくじにある“待人”の対象について、僕はいつからか“本当の自分”と解釈するようになりました。
  
 一般的には、「あなたにとって運命の人であり、人生の転機となる人、または出会い」などと云われていますが、僕にとってそれはまさに他ならぬ“本当の自分”との出逢い、邂逅なのです。
  
 もちろん、誰かとの出逢いが、“本当の自分”に自分を導いてくれる、ということもあるでしょう。ただ、その「誰か」は人ではなくても、文学や音楽や経験でもよいように思います。
自分が素になる、素直になる、純粋になる、そういうきっかけや体験、体感が“待人”との出逢いだと感じるのです。
  
 客体と主体、第二人称と第一人称、ダイアローグとモノローグが繋がり、何かに向かって導かれるような。
  
 実際、僕の好きなミュージシャンの歌詞や、好きな作家の小説に触れていると、一見恋愛であったり、尊敬であったりの対象である第二人称を“本当の自分”と解釈することで、深い感動が湧き出ることがあります。
  
 自分もまた、誰かの”待人”、そのきっかけとなれれば…。
  
 あくまで、自己流の解釈ですが。

 

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メルマガ、ブログの10周年に寄せて

 200577日。この日をメルマガ「青年のための名言」、ブログ「生きる言葉」  の開設の日としています。お陰様で10周年を迎えることができました。
  

この間、継続することの葛藤や、紆余曲折はそれなりにあったのですが、なんとか続けてきました。10周年を迎えるにあたり、45歳という年齢も考え、「メルマガは終了しようか?」そんなことも考えていたのですが、今はもうしばらく続けていこうかと思っています。
  

 10年前は、まさに青年の立場から、同世代に向けて、「何かを発信したい」そうして始めたメルマガ、ブログでした。当時、僕が考えていた問題意識は、
  

 ・日本の自殺者が何年も3万人を超えている状況
 
・勝ち組と負け組、下流社会、といった格差社会の形勢
 
・ワーキングプア、ブラック企業、社内うつ、などの問題
 
・日本の借金が1000兆円を超える情勢であったこと など
  

 2000年に長男坊を授かり、僕も父親となり、2001211日、自分の明らかな心境の変化があり、「子供たちの次代により豊かな未来社会をプレゼントする」という人生理念を持ちました。2003年に長女、2005年に次男坊も生まれ、そのような中で、このブログやメルマガを開設したことを想い出します。
  

 もちろん自分の子供だけでなく、僕の場合は学童野球の育成者として他の子供たちと交わることも多く、彼らみんなの未来を、できるだけ明るいものにしてあげたい、そう想って仕事も生活もしています。
  

 はじめは40歳まで、45歳までなどと考えながらやってきましたが、今は今の自分の立場から、できることをコツコツ、できる限り続けていこう、そう考えています。
  

とりとめもない話ですが、あまり肩に力を入れず、10周年を一つの通過点として、今後もまた精進していきたい、そう想っています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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45歳に寄せて

How many roads must a man walk down
Before you call him a man ?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand ?
Yes, how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

Yes, how many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea ?
Yes, how many years can some people exist
Before they're allowed to be free ?
Yes, how many times can a man turn his head
Pretending he just doesn't see ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

Yes, how many times must a man look up
Before he can see the sky ?
Yes, how many ears must one man have
Before he can hear people cry ?
Yes, how many deaths will it take till he knows
That too many people have died ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

 

Blowin' In The Wind
Bob Dylan

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僕の信仰観

僕の信仰観、宗教観について告白しておこうと想う。現時点での。もうすぐ43歳、後厄も終え、そろそろそういうことを告白しても良いかなと想う。

とはいうものの、僕は実は特定の宗教を信仰してはいない。むしろ特定の宗教を信仰したり、宗派に属したりすることを個人的に好まない。ただ、そうした人を否定したり、拒んだりもしない。僕は僕として、神だとか、幸福だとか、真理だとか、そういったものを考えたいと想っている。

アインシュタインが「存在するものの秩序ある調和の中に自らを現すスピノザの神なら信じるが、人間の運命や行動に関わる人格のある神は信じない」と云ったそうだが、それに近い感覚だと想う。

僕は生まれも育ちも東京だが、僕の宗教的背景は、生家が黒住教という宗派だったことも影響しているかと思う。ただ祖父も熱心な信者ではなかったように覚えている。祖父も祖母も戦時中のころ徳島から上京したのだが、その出身地では結構流布されていたようだ。親類にも教徒の叔父さんや叔母さんがいた。祖父は僕が小学校2年生のときに他界したが、その葬式が、いわゆる仏教式ではなく、神道的なものだったので、一般的なものとは違うな、という程度に感じていた。高校2年の時、母が他界したときも黒住教の葬式であったが、それ以来25年近く、黒住教との関わりは、ほとんどない。

父は婿養子だった。兵庫の田舎地方では仏教が中心だったのだと思う。父方の親戚の家には仏壇が祀られていた。しかし、父はキリスト教徒だ。カトリックだったり、プロテスタントだったり、今も毎週のように地元の教会に通っているが、実はキリスト教のどのような宗派なのか、僕は知らない。父もたまに10年に1度くらい、僕に聖書を読むように薦めることもあるが、強要はしない。

そういった訳で、僕は信仰的にとても自由で、また固定観念的なものを持たないで育ってきた。

僕は20歳前後の時、世界中をバックパッカーのように旅していた。キリスト教国はもちろん、イスラム教国、ヒンドゥー教国など、さまざまな信仰のある国々を旅した。古代遺跡のようなものは世界中相当見て回った。古代遺跡はまたその当時人々が絶対視していた信仰の遺跡でもある。旅をとおしてのカルチャーショックの中で、神や幸福や真理や、次第にそういうことを僕も考えるようになった。信仰的なアイデンティティーの形成期だったように想う。

その後、事業で独立したり、結婚したり、子供ができたり、事業を整理したりで、いろいろ深く悩むこともあった。そんな折、30歳過ぎたあたりで、僕はいろいろな宗教の本部や教会に一人飛び込みで見学にいったりした時期があった。仏教系、密教系、新宗教、新興宗教、などなど。当時は怖いもの知らずで行動力もあった。もちろん宗教に関する本やサイトもたくさん読んだりしていた。同時期には心理学や精神分析、思想や哲学、倫理などについても独学で研究していた。学会や研究団体などに参加していたこともある。主に名言を紹介するこのサイトを立ち上げたのも、そんな流れの中でのことだ。

けどそれから今に至るまで、一宗一派に所属するというご縁はなかった。今でも寺社仏閣や神社などを見て回るのは好きだ。神頼みするときもあるし、それ以上に何かに感謝したいときに詣でる。そんな一般的な状況だ。

僕は基本的に団体行動が得意ではない。集団に縛られるのが好きではない。人と関わるのが嫌いな訳ではない。どちらかというと人のことを気にしすぎたり、気を使いすぎたりするタイプだ。自分で言うのも何なのだが、責任感が強すぎ、利害関係が絡むとストレスを抱えやすい。そういった自覚症状がある。宗教団体に属すことができないのも、そういったアレルギーが原因でもある。

まあ、取り留めもない告白なのだが、現状そうした信仰観、宗教観といったところだろうか。

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良識と常識

人は良識で繋がっているのだと信じています。
 

しかしながら生きていく中で次第に身についていった常識が邪魔をして、人は人との本当の繋がりを忘れさせられてしまっているのではないでしょうか。
 
生きていくうえで、もちろん常識も大切なのでしょうが、そんな世の中でも、人が生来持っている良識を大事にすることが必要なのだと想います。
 
今の時代は良識よりも常識が優先され、良識が通用しないような社会の仕組みであるような気がします。競争、優劣、評価、損得、そんなものに基づいたルールに囚われ過ぎており、私たち一人ひとりの自分の中にある良識を発揮できず、その結果本当の幸福感を味わいにくくなっているのではないでしょうか。
  
一人一人の中の良識の実在を信じるとき、私たちは社会に対して安心することができるのだと想います。そうした時、そうした場でこそ、人は安心して自分を表現できるのです。それが幸福感に繋がります。
  
子供たちの次代では、もっともっと人と人との本当の繋がりを大事にする、人間の良識に回帰するような社会が広がっていくことを、心から願っています。

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