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名言集2420

主観は単なる個体的な主観
であることをやめるその時、
意志の力を免れた純粋な認識主観となり、
  
それはもはや、理由の原理に従って
事物のさまざまな関係を求めようとはせず、
  
しかし、主観に指し示された客体の
深い観照の中に投入し、
  
しかしそこでこそ主観は響きあい、花開くのだ
  

(アルトゥール・ショーペンハウアー)

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コメント

主観を知り
非主観を知り
  
それらを止揚することで
  
達観(諦観)の境地の
扉が啓きます。
  
   
時と場に縛られた
因果律を超えたところに
 
真我は宿っています。
  


                

投稿: しっ | 2023年3月29日 (水) 06時32分

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