名言集2421
人が自己認識とそれにふさわしい行為によって、
自分自身を意識するようになればなるほど、
それだけますます集合的意識と絡み合っていた
個人的無意識の層が消失し、
これによって私たちは、もはや
個人的な小さな自我の世界に囚われることなく、
ひたすら広い世界、すなわち客観に
関与しようとする意識が発生する
(カール・グスタフ・ユング)
人が自己認識とそれにふさわしい行為によって、
自分自身を意識するようになればなるほど、
それだけますます集合的意識と絡み合っていた
個人的無意識の層が消失し、
これによって私たちは、もはや
個人的な小さな自我の世界に囚われることなく、
ひたすら広い世界、すなわち客観に
関与しようとする意識が発生する
(カール・グスタフ・ユング)
主観は単なる個体的な主観
であることをやめるその時、
意志の力を免れた純粋な認識主観となり、
それはもはや、理由の原理に従って
事物のさまざまな関係を求めようとはせず、
しかし、主観に指し示された客体の
深い観照の中に投入し、
しかしそこでこそ主観は響きあい、花開くのだ
(アルトゥール・ショーペンハウアー)
自然を深くのぞき見れば見るほど、
それが命に満ちていることが認識され、
一切の命が神秘であり、
我々すべてがこの一切の命に結びついている
ことがますます深く知られる。
(アルベルト・シュヴァイツァー)
私はこの一文をして
「愛と認識との出発」たらしめたい。
偉大なる愛よ、わが胸に宿れ、
大自然の真景よ、わが瞳に映れかし。
願わくばわが精霊の力の尽きざるうちに、
肉体の滅亡せざらんことを。
(倉田百三「愛と認識との出発」)
良心とは認識の生が保証する幸福のことだ。
認識の生とは、世の中の苦しみにもかかわらず
幸福であるような生のことだ。
世の中の楽しみを断念しうる
生のみが幸福なのだ。
世の中の楽しみは、この生にとって、
たかだか運命の恵みにすぎない
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)
最初は隠され、閉ざされている宇宙の本質も、
認識の勇気に抗し得る何らの力ももたない。
この勇気の前には、
その宇宙の本質は必ず自らを開き、
その富と深底とを、その人の眼前に現わして、
享受に委ねるにちがいない。
(フリードリヒ・ヘーゲル)