名言集1625
求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか──
という根本問題と取り組んで、
つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。
(森信三)
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求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか──
という根本問題と取り組んで、
つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。
(森信三)
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君自身が心から感じたことや、
しみじみと心動かされたことを、
くれぐれも大切にしなくてはいけない。
それを忘れないようにして、
その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。
(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」)
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どんな服を着て
どんな靴をはいて
どんなものを背負い
どんな夢を持っていたって
他の誰でもなく
あなたはあなたなのだから
どうか心にまで
化粧はしないでください
(フローレンス・ナイチンゲール)
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現代人は結局、怖ろしくたくさんの
消化しきれない知識の石をひきずり廻っている。
なんらの教養の決意もそこからは生じない。
というのは、われわれ現代人は
自分からのものをなに一つ
持っていないからである。
(ニーチェ
生に対する歴史の利害について- 第二反時代的考察)
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この人生は短い、世界の虚栄は、移り変わる。
しかし、他の為に生きる者だけが、真に生きる。
それ以外の者は、生きているよりも、死んでいる。
(スワミ・ヴィヴェーカーナンダー)
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恐るべきは霊魂の死である。
ひとが教えられたる信条のままに執着し、
言わせられるごとく言い、
させられるごとくふるまい、
形から鋳出した人形のごとく
形式的に生活の安をぬすんで、
いっさいの自立自身、
自化自発を失うとき、
すなわちこれ霊魂の死である。
(徳富蘆花)
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何にしても、若い人々の心に
まず愛をとりもどさなくては、
この国の文化は消えていく。
こんなことでは、この国には
私どもの憂いている
滅びの時が来るに違いない。
(折口信夫「愛と詩」)
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私たちの態度、感情、信念は習慣となりやすい。
私たちが理解する必要があるのは、
常用癖とちがって、習慣は、労を惜しまず、
意識的に心を決めて──
新しい反応や行動を実践し、
なしとげることによって、
修正され、あらためられ、
すっかり変化させられ得るということである。
(マクスウェル・マルツ
『幸福への挑戦 サイコ・サイバネティクス』)
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およそ現実というものが、
主観と客観という二つの反面から
成っているということによるのである。
だから客観的な反面が全く同じでも、
主観的な反面が異なれば、
現在の現実が全く別なものになってしまう。
(ショーペンハウエル「幸福について」)
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やまとうたは、人の心を種として、
万の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、
言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の中をも和らげ、
猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
紀貫之
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最も難しいのは、人々の固定観念を変えること。
固定観念は、私たちに錯覚を起こさせる。
自分の頭が命じたようにしか、
物事を見られなくなるのだ。
(ムハマド・ユヌス)
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