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性格形成と観念形成

1観念とは

私たちの性格(パーソナリティ)形成について、重要な要因の一つが”観念”です。もともと観念機能は現実課題に応えるためにあり、行動を導く為にあります。私たちは成長する上で色んな観念を作ってきます。それは安全に生きるための機能でもありますが、その多くは傷つかないように、失敗しないように、恥をかかないように、とネガティブな目的で作られます。また、親から躾という形でその観念を受け継ぐことも多いでしょう。
観念は私たちが成功するか、失敗するか、人生がむずかしいものになるか、容易なものになるか、私たちが満足するか、失望するかなどを決定するものです。観念とは自分の体験や学習、そして人から教えられることに基づいて自分自身のことや周りの社会のことについて自分自身が下す決定です。しかしながら、この観念は逆に私たちの心を縛り付け、幸せを遠ざけてしまうことが実に多くあるのです。この観念のややこしいことは、今のあなたにとって、それが当たり前のことのようになってしまっていて、自分ではなかなか何が問題なのかが分からなくなってしまうところです。観念という言葉は、もともと仏教用語で、”心を一定の対象において散乱させない状態”をいいます。今日ふつうに用いられている用法は、ヨーロッパ語のideaの意味で、心理学では、表象(独 Vorstellung)と同義となります。

2観念の形成

私たちの観念の基本体系は6歳か7歳頃にほとんどの部分が形成されると言われています。つまり、観念の多くは家族(特に両親)とのかかわり合いのなかで形づくられます。また、私たちはより楽しいものを求め、不快感や苦痛を引き起こすものを避けることによって観念を形成してゆきます。極度の苦痛、痛手を与えるような体験は、しばしば非常に強い観念を残します。この目的は将来自分が傷つくことを回避することです。

3拡大解釈と一般化傾向

私たちはある具体的な体験を通して観念を形成するにも関わらず、それを拡大解釈し一般化する傾向があります。例えば、ある体験を通して、私の父親が私にとって恐い存在だという認識を持ったとしたら、その後私は父との体験を忘れてしまったずっと後になっても父を連想させる全ての男性(会社の上司や年上の男性は父親が象徴となっていることが多いと言われています)に対して「恐い」という感覚を持つこと場合があります。(拡大解釈)
その考えは、実際にはただの観念であり、現実ではない場合でも、「年上の男性は恐いんだ」という自分特有のレンズ(めがね)を通して出来事を判断し、自分の観念は正しく、あたりまえで、世の中のほとんどの人は同様の考えをもっているのだと信じています。(一般化)

4無意識(潜在化)と観念の防御、強化

私たちの観念は潜在意識の中に格納されています。まるでコンピューターのプログラムのようです。幼い頃に体験した出来事から自分にとって好都合なように判断し、観念を身につけます。幼いときに体験した出来事は、たとえそれが自分にとって重要なことでも、他に目新しく重要な出来事が多々あるため今の自分は憶えていないことがほとんどで、自分がどんな観念をもっているかには気づいていません。また、一度観念を身につけるとたとえそれが否定的で制限を加える観念であっても、観念にそぐわない出来事は「それは特別な事だ」というように観念を防御し、観念に合う出来事は「やはりそうだ」と強化し、自分が正しいと思いこむようになります。

5自動反応

私たちの観念は、ある出来事や状況、環境に自動的に反応して、私たちのふるまい、考え方、感じ方の昔ながらのパターンを引き出します。たとえば誰かが私を批判したとします。私は子供の頃に批判された時の事を思い出し、幼い頃と同様の反応をします。恥ずかしい思いをしたり、混乱したり怒ったりします。これは、意識的に選択して反応するのではなくプログラム化されているように機械的に、自動的に反応します。
あるいは、私の上司が私の同僚の成功をほめたとします。それは私の両親がいつも自分よりも兄をよくほめていた事を思い出させます。そこで私は、そのときと同じ反応をしてしまいます。不当に扱われたと思い腹をたて同僚の陰口をたたきはじめます。自分が昔のパターンを繰り返している事など全く気づいていないかも知れません。ましてや、それが自分の兄や両親に関連しているとは思いもかけないでしょう。しかし結果からみると自分で選択して反応しているというよりは、幼い頃に創った観念にコントロールされている訳です。
自動反応の中には肯定的な面もあります。考えることなしに物事を実行でき、エネルギーの消費量を減らし、私たちの人生を楽にしてくれる面です。(初めて車を運転したり、スキーをしたりしたときのむずかしさと、それをある程度修得して「自動的」なったときの簡単さを比較してみれば「意識して行う」事がどれほどむずかしいかわかると思います。)
また、自動反応の中には否定的なものもあります。自分特有の非生産的な考え方や感じ方、ふるまいです。つまり自分に次のような言い方をさせてしまう反応です。「またやってしまった。なんて自分はバカなんだろう。」「どうして同じ事ばかりやってしまうんだろう。」「いつになったら懲りるんだろう」 自動反応は、過去の体験をもとに下した決断によって、「観念」としてそのまま力をもった形で残っており、この観念に気づかない限り私たちは出来事に対して自動的に反応するわけです。

6気づき

私たちの意識は自分自身で認識できる「顕在意識」と無意識で自分でも理解していない「潜在意識」に分けることができます。氷山の一角という言葉が示すように私たちが「自分で理解出来る水上の自分自身」=顕在意識はごく一部であり(10%程度と言われています)、残りのほとんどの部分(90%)が水面下に隠れており自分では見ることが出来ないわけです。
観念も意識の一部です。私たちは自分がどのような観念を持っているかほとんど認識していません。つまり、私たちの思考・行動・感情のパターンは、自分が意識していることよりも、この「水面下の観念」によって支配されているわけです。たとえば、私が会議などで「自分の意見をはっきりと伝えて自己主張したい」と顕在意識で思っていたとしても、結果的に黙って相手の意見を聞き、同意してしまっているとしたら、潜在意識の中には「自分が発表しても誰も認めてくれない」とか「人と良い関係を創るには相手の意見を受け入れた方がうまくいく」という観念をもっていて、この観念にコントロールされているわけです。意識的には前に進みたいと思っていながら、私の気づかない残りの90%の部分が無意識に反対の方向に引っ張っている状態な訳です。
もし、私たちが自分の「水面下の観念」に気づいたならば、以前にはなかった主体的な新しい選択が突然できるようになり、新しい可能性がひらかれていきます。

性格形成における「観念」以外の重要なテーマについても触れておきます。

1選択

私たちのほとんどにとって、人生は「しなければならないこと」だらけです。毎日、「朝早く起きなければならない、仕事をしなければならない、お皿を洗わなければならない、約束を守らなければならない」など数え上げればきりがありません。私たちは義務を果たす気持ちや不安や恐れ、人を失望させたくない気持ちから行動しがちです。どんな気持ちがしていても、「しなければならない」つまり、選択の余地がないと思っています。
しかし、本当は私たちは重要な事柄からとるに足らないような事柄まで全ての事を選んでやっています。私たちが人生のたくさんの時点で行った選択の結果が現在の自分自身です。私たちは常に選択しています。私たちは自分の職業や結婚するか独身でいるかなど人生の全てを選択しています。 ところで、これが本当ならなぜ私たちは、自分自身で選択しているにも関わらず、「しなければならない」と言うように義務感を感じたり、嫌だと思ったり、プレッシャーを感じたり、抵抗したりするのでしょうか?
このように私たちは否定的になったり抵抗しながらでも苦しく嫌な事を繰り返しています。その原因は自分自身では気づいていないような心の深いレベルで、その苦しみを我慢するに値する「見返り」を求めているからなのです。

2逃避

私たちは、避ける事によって自分を守ったり、苦痛になることを遅らせたり後回しにする事で、困難な状況が容易になったり、消えてしまったり、処理しなくても済むようになって欲しいと願っています。例えば職場で自分の意見をはっきりと述べてみたいと思っていても何故か避けてしまうとしましょう。何故なら拒絶されたり、プライドを失うのが恐いからです。恥ずかしそうな様子を装ったり、黙ったままでいたり、または、他人の言う事に愛想よく賛成するふりをするなどの方法で発表するのを避けているのかもしれません。避ける事によって批判されたり、拒絶されたりする痛みを一時的に避ける事はできますが、自分の意見を言えなかったという痛み(ストレス)は残ります。これは、「自分は不十分だ」とか「価値がないんだ」という類の観念が意見を述べてもきっと拒絶されたり笑われるという想像を生み、この想像が行動にブレーキをかけているわけです。実際には自分の意見を述べるという行動は、批判を受けたり、拒絶される危険を伴いますが、同意したり、認められる可能性も十分にあります。そして避ければ避けるほどストレスが蓄積し自分の観念を強固なものにしてゆきます。この問題を解決するためには、意識的に冒険(リスクをおかす事)をして行動してみる事が一番効果的なようです。
私たちは、常日頃たくさんの避ける方法を使っています。そして、それが何かに直面するのを避けるためだとは全く気づいていない事の方が多いようです。以下に避ける方法をいくつか挙げておきます。
延ばし延ばしにする・怒る・落ち込む・仕事に熱中する・沈黙する・食べる・人のせいにする・考え込む・混乱する・遠慮・酒を飲む・疲れる・病気になる

3責任

私たちが「責任」という言葉から連想するのは、非難や失敗、重々しさなど否定的なことを連想しがちです。「こんなになったのは誰の責任だ」とか「責任をとってください」というように我々日本人には「責任=詰め腹を切る」という観念がいまだに残っているようでこの言葉は圧倒的に否定的なトーンをもっています。しかし、「責任」にはもうひとつの意味があります。それは「私の責任だ」というのは「私が、私の人生の主だ」という意味だと言うことです。
実際には自分をこのようにとらえる考え方には無理があるのかもしれません。例えば人間関係がスムーズにいかない責任は、当然相手にもあるはずです。しかし責任を相手のせいにしてしまうとその問題を解決するためには相手に変わってもらうしか方法が見あたりませんし、これは困難なことです。これを100%自分の責任だと言うように解釈すると問題解決の方法は自分にあるわけですから自分に変化をつけるのは十分に可能です。また、自分の責任ではないといっていると、あなたは「自分には能力がない」と言っているわけですからエネルギーに乏しく、落ち込んだり、無気力な状態になりがちです。
責任をとって、主体的に活動している人は、パワフルで肯定的な性格になります。また、人や自分を責めたりせず、どのような状況も学び、向上するチャンスとし捉えられるようになります。生き生きとして、間違っていることを指摘して、受動的に生きるのではなく、うまくいくことに焦点をあてて能動的に生活していくことができるのです。

4約束

私たちのほとんどは、人との約束の方が自分との約束より大切だという決めつけた考え方をもっています。私たちが誰か他の人との約束を破ったら、その人は私に腹をたてるでしょう。また、怒るかも知れないし、好きになってくれないでしょう。もしかしたら自分の評判が傷つくかも知れないし、尊敬や地位が失われるかも知れません。でも、自分との約束を破っても誰もそれを知る人はいません。誰も私に腹をたてないし、信頼や尊敬を失うこともありませんし、批判されたりすることもないし、相手を傷つけることもありません。しかし、私たちは自分との約束を破ると自分自身に腹をたてるのです。自分への信頼と尊敬を失い、自分で自分を傷つけ、自分に対して批判的になります。自分との約束を破ることで、自己信頼を失ってしまうことになります。私たちが、自分との約束を破るとき、自分自身を疑い、心の中で葛藤がおきます。結果的に自信、自己信頼、自己尊敬が下がります。私たちは自分で自分自身の成功を壊してしまうことで自らを罰しているようです。人との約束を破ることは、人間関係を弱体化し、結局壊してしまうことになります。
約束を守ることで、自動的に自信、自己尊敬、自己信頼があがります。明確性、目的、方向性がはっきりしてきます。また、約束を守ることによってより良い人間関係を築くことができます。

私たち人間の性格形成にとって重要なことは、できるだけ客観的に自己理解につとめ、そして主体的に自己の意識や言動・行動をコントロールする習慣づけをすることではないでしょうか。

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