山のあなた

  

山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいう
噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
「幸い」住むと 人のいう
  

Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit druben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.
  

カール・ブッセ/上田敏 訳

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道程(102行)

  
どこかに通じてる大道を僕は步いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自墮落に消え滅びかけたあの道
絕望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦惱にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戰慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち )の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が此命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此處まで來てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに淚を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては眼をはぢき
もう此處と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ嚴格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一變した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く樣に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「步け」といふ聲につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつてゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一步も步けない事を經驗した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩疊な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絕壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに步いてゆく
しかし四方は氣味の惡い程靜かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ步いてゆく人間を僕に見せてくれる
同屬を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
聲をあげて祝福を傳へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに從つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千萬人の中で百人も殘れば
人類は永久に絕えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の爲め人間を澤山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
步け、步け
どんなものが出て來ても乘り越して步け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の爲め
    
高村光太郎
雑誌『美の廃墟』より(102行)
  

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古今和歌集 仮名序

やまとうたは、人の心を種として、
万の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、
言ひ出せるなり。

花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の中をも和らげ、
猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
  

紀貫之

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奈々子に

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子
  

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。
  

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。
  

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
  

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
  

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
  

自分があるとき
他人があり
世界がある。
  

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
  

苦労は
今は
お前にあげられない。
  

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
  

            吉野弘 

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「無辺世界」より

 

 

私が愛するだれかが、私を愛するだれかが、
私を見失わないような、みようと思えばいつ
でもすぐにみつけられるような場所に、私は
常に立っていようと思う。
どんな花が咲いてどんな風が吹いて私をどこ
かへ誘うとしても、その方向があの人々に
とって私を見失う方向であるとしたら、私に
とってあの人々を見失う方向であるとしたら、
私は決して、ただの一歩も、ここから動きだ
さないだろう。
私にとってもっとも大切なことは、あの、同
じ悲し
みでありよろこびを、みとめあえる
人々の存
在を確信することである。
  

                銀色夏生

 

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45歳に寄せて

How many roads must a man walk down
Before you call him a man ?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand ?
Yes, how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

Yes, how many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea ?
Yes, how many years can some people exist
Before they're allowed to be free ?
Yes, how many times can a man turn his head
Pretending he just doesn't see ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

Yes, how many times must a man look up
Before he can see the sky ?
Yes, how many ears must one man have
Before he can hear people cry ?
Yes, how many deaths will it take till he knows
That too many people have died ?
The answer my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

 

Blowin' In The Wind
Bob Dylan

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Pippa's Song

The year's at the spring 
時は春、
And day's at the morn;   
日は朝(あした)、
Morning's at seven;    
朝(あした)は七時、
The hill‐side's dew‐pearled;   
片岡(かたをか)に露みちて、
The lark's on the wing;   
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
The snail's on the thorn;
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
God's in his heaven ― 
神、そらに知ろしめす。
All's right with the world! 
すべて世は事も無し
  

ロバート・ブラウニングPippa's  Song
(訳:上田敏 春の朝)

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我々はビー玉である

少年は作られたばかりのガラス玉
透明で無垢、光輝で鋭利
  


しかし、一日一日に、大人になるにつれ
小さな傷を負って行く
数えきれないほど多くの傷を
やがてガスビーのように傷つき、淡い光しか発せなくなる
  


大人になることは、濁りと丸み、汚れと狡さ
決してそんなことがいいとはいわないけれど
何十年も傷一つできなかったビー玉に大きな傷を入れて割ってしまうより
小さな傷を無数に負って淡い光を発することのほうがいいのではないか
  


少しも傷のない生まれたばかりのビー玉であり続けることが
素晴らしいことに間違いないけれど
澄み切った少年であり続けるのは
天才的才能の持ち主か世捨て人にしかできないことだ
  


一日一日、いろいろなものにぶち当って生きていく我々に
小さな傷は必ずできる
  


かすり傷一つ負わないやつは
よほど偏屈者か図々しいやつか
ダイヤモンドのように優れたやつ
  


所詮、我々はビー玉である
  


ありふれたビー玉のくせして
傷つかないようにしたり、人生にもまれないようにしたり
純粋なままで生きたいなどと抜かすやつは
とんでもない詐欺師か、とんでもなくイケ図々しいやつだ
  


ダイヤモンドでないくせに
自分が無傷であることを願うのは
それ自体悪いことではないけれど
  


しかし、自分を無傷の状態に保つために
いかに多くの人を傷つけていることか
それをわきまえない振る舞いだ
  


柄にもなく無垢なガラス玉でありたいと願うやつが
一度でも傷を負う立場に立つと
とり返しのできない深手を負ってしまう
  


一度も傷を負わないやつは、一度も他人と交わったことないやつ
「私は汚いことが大嫌いだ」とか
「不純なことは絶対許さない」とかいってるやつに限って
意外にロクなもんではないんじゃないか
  


ただ、所詮、ビー玉の我々だけれども
少年時代に見た世界の ガスに曇っていない輝きを
いつまでも忘れたくはない
  


汚れた大人の世界を濁った光の中で見ているだけのていたらくだけれども
かつてはオレも、外からの光をあるがままに感受し
周りのものを輪郭そのままに見つめていた時代があったことを忘れまい
  


光を純粋に受けとめて輝いていた時代があり
それが不純になってきた道程を忘れなければそれでいい
  


忘れるはずがない
傷ひとつないガラスで見た世界を
  


我々はビー玉なのだから

 

 

                    ビートたけし

 

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誠実な人間 The Man of Life Uplight   

誠実な人間とは、
その心が清潔で、
曲がったことをせず、
虚栄心とは無縁な人のこと。
  

そういう人は、ただ黙々と、
純粋無垢な日々をおくり、
希望にも心惑わされず、
悲しみにも乱されはしない。
  

そういう人は、城壁や鎧で
自分の身を守る必要もなく、
青天から降ってくる禍をさけるため
秘密の地下室を設ける必要もない。
  

そういう人は、いや、そういう人だけが、
深淵から迫ってくる恐怖も、
大空から舞ってくる脅威も、
臆することなく見据えることができるのだ。
  

そして、運、不運のもたらす
苦悩を超然と直視し、
天を仰いでそこに神意を読み、
敬虔な思いこそわが知恵と考えるのだ。
  

さらにまた、善き思いをわが友とし、
満ちたれる老齢をわが財産と見なし、
この地上の生を静かな旅の宿と見、
自らを静かにそこに宿る旅人と考えるのだ。
  
  
トマス・キャンピオン

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生徒諸君に寄せる

この四ケ年が
わたくしにはどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
鳥のように教室でうたってくらした
誓っていうが
わたくしはこの仕事で
疲れをおぼえたことはない
 

諸君よ紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はそのなかに没することを欲するか
じつに諸君はその地平における
あらゆる形の山岳でなければならぬ
 

諸君はこの颯爽(さっそう)たる
諸君の未来圏から吹いてくる
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
 
諸君はその時代に強いられ率いられて

奴隷のように忍従することを欲するか
むしろ諸君よさらにあらたな正しい世界をつくれ
 
宇宙は絶えずわれらによって変化する
潮汐や風
あらゆる自然の力を用いつくすことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
 

新しい時代のコペルニクスよ
あまりに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
 

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
すばらしく美しい構成に変えよ
 

新しい時代のダーウィンよ
さらに東洋風静観のチャレンジャーにのって
銀河系空間の外にも至って
さらに透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
 

衝動のようにさえ行なわれる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲に高めよ
 

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
新たな透明なエネルギーをえて
人と地球にとるべき形を暗示せよ
 
 

宮沢賢治

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